SESとして働き始めて、気づけば7年が経っていました。最初のうちは「いろんな現場を経験できる」という言葉をそのまま受け取っていましたが、30代に入ったあたりから、自分がどこにも属していないような感覚が抜けなくなっていきました。客先では「よそから来た人」で、自社に戻れば「現場に出ている人」。どちらに行っても、少しだけよそ者でした。
特にきつくなったのは、今の現場に入って1年ほど経ったころです。客先のリーダーから細かい仕様変更を毎日のように求められる一方で、自社の営業担当からは「余計なことを引き受けるな、工数が増える」と言われていました。どちらの言葉も間違っていないのがわかるぶん、どちらにも「実はしんどいです」と打ち明けることができませんでした。
朝、現場に向かう電車の中で、胃のあたりが重くなるようになったのはその時期からです。仕事の内容が嫌なわけではありませんでした。ただ、誰かの顔色をずっとうかがっている状態が、じわじわと疲れに変わっていきました。帰り道に何も考えられなくなる夜が続いて、そのうち「もう辞めよう」という言葉が頭に浮かぶようになりました。
意を決して、自社の担当者に退職の意思を伝えたのは、その年の秋のことです。「今の現場との契約が更新されるタイミングで、次はお断りしたい」と、できるだけ穏やかに話しました。担当者は少し黙ったあと、「現場が今ちょうど繁忙期に入るから、もう少しだけ待ってほしい」と言いました。断り切れず、その日は持ち帰ることにしてしまいました。
翌週、今度は担当の上司も同席した場を設けられました。「君がいなくなると客先との関係が壊れる」「もう一度アサインを探すのも時間がかかる」と、静かだけれど重みのある言葉が続きました。責められているわけではないのに、自分が迷惑をかけているような気持ちになっていきました。その場で「もう少し続けます」と言ってしまった自分が、あとから悔しくてたまりませんでした。
その後も客先での板挟みは変わらず続きました。退職の話は「一旦保留」という形になり、正式な意思表示をする機会がなかなか作れませんでした。再度切り出そうとするたびに、タイミングを失って流れてしまいました。「辞めたい」という気持ちは変わっていないのに、それを言葉にするたびに周囲の反応に押し流されてしまう、その繰り返しでした。
結局、最初に退職を申し出てから半年近く経っても、状況はほとんど変わっていませんでした。一人で抱えて、一人で伝えようとしたことが、自分の一番の誤算だったと今は思います。相手は組織として動いていて、自分だけが個人として交渉しようとしていた。そのアンバランスに、気づくのが遅すぎました。
板挟みの中で「辞める」という言葉を出すには、思っていたよりずっと大きなエネルギーが必要でした。そしてそのエネルギーが一番削られていた時に、一人で伝えようとしてしまった。もし最初から誰かに間に立ってもらっていたら、違う結果になっていたかもしれないと、今でもふと考えます。