SESという働き方を選んだのは、さまざまな現場を経験できると思ったからでした。30代に入って数年が経ち、スキルもそれなりに積んだつもりでいました。ただ、いつの頃からか、3ヶ月ごとの契約更新の時期が近づくたびに、胃のあたりがじわりと重くなるようになっていました。
更新されるかどうかは、現場の都合次第です。自分がどれだけ貢献していても、予算やフェーズの終了といった理由で突然「次はない」と言われることがある。そのことは頭では分かっていましたが、実際に「今期で終わりかもしれない」という雰囲気を感じ始めると、仕事に集中できなくなりました。
営業担当の人には何度か「次の案件どうですか」と聞いていました。返ってくる言葉はいつも「調整中です」か「もう少し待ってください」でした。具体的な話が出ないまま2週間、3週間と過ぎていくと、夜に目が覚めることが増えました。翌月の生活のことを、暗い天井を見ながら考えていました。
ある時、同じ会社の別の人が「次の案件が決まらなくて待機状態が続いている」という話をしているのを聞きました。その人の声が少し掠れていて、笑いで誤魔化している感じが痛かったです。自分もいずれそうなるかもしれない、という現実が急に近く感じられました。
会社を辞めることを考え始めたのはその頃です。ただ、SESの構造上、直属の上司が誰なのかが曖昧で、どこに退職の意思を伝えればいいのかがはっきりしませんでした。現場の上長に言うべきなのか、自社の営業に言うべきなのか。少し調べても、ケースによって違うと書いてあるばかりで、踏み出せませんでした。
退職の手続きを代わりに進めてくれるサービスがあることを知ったのは、夜中に検索していた時でした。自分で直接やり取りしなくていい、という点が決め手でした。連絡のやり取りに消耗していた自分には、それだけで十分な理由でした。申し込んだ翌日には動き始めてもらえて、思っていたより淡々と話が進んでいきました。
退職が成立したという連絡を受けた日は、特に何かをしたわけではありませんでした。ただ、次の更新がどうなるかを気にしなくていい、という事実が少しずつ身体に染み込んでくる感覚がありました。長い間、何かをずっと警戒し続けていたのだと、その時になって初めて気づきました。
その後は少し休んでから、次の働き方を改めて考えました。SESという形態そのものが悪いわけではないと今でも思っています。ただ、あの「いつ切られるか分からない」という感覚に慣れてしまっていたことは、振り返ると自分を消耗させていたのだと思います。
辞めると決めてから動き出すまでに、ずいぶん時間がかかりました。もう少し早くてもよかった、と今は思います。不安を抱えたまま働き続けることで失うものが、確かにあったと感じています。