夜勤明けの朝、ロッカーで着替えながら、このまま外に出て帰らなければいいんじゃないかと思ったことがありました。本気ではないけれど、本気に近い何かでした。スニーカーの紐を結ぶ手が、自分のものじゃないみたいにぼんやりしていました。
その頃、夜勤は月に十回を超えていました。人手が足りないのはわかっていたので、断れなかったです。断ったとして、残った同僚に負担が行くことも見えていたので、気づいたら「大丈夫です」と答えるのが癖になっていました。大丈夫ではなかったのに。
退職したいと思い始めたのは、入職して一年半が過ぎた頃でした。眠れない、食べられない、休日に何もできないという状態がしばらく続いて、これは限界だと頭ではわかっていました。ただ、それを言葉にして誰かに伝えることができなかったです。
勇気を出して、直属の上司に「少し話せますか」と声をかけたのは、夜勤明けの午前中でした。でも、いざ向き合うと「退職を考えています」の一言がどうしても出てきませんでした。「最近しんどくて」とだけ言ったら、「みんな同じだよ、慣れるから」と返ってきて、それ以上話せなかったです。
もう一度だけ、と思って翌月に改めて話しかけました。今度こそ退職の意思を伝えようと、前日の夜に何度も練習しました。でも実際に口を開いたとき、上司の表情を見て「今は言えない」と判断してしまいました。その日も「少し休みます」という話に着地して、有給を一日もらって終わりになりました。
有給明けに戻った病棟は、何も変わっていませんでした。むしろ一日抜けた分のしわ寄せが来ていて、戻った初日から夜勤の打診がありました。断れなかったです。また「大丈夫です」と言いました。自分でも呆れましたが、止まらなかったです。
その後も半年近く同じ状態が続きました。退職を考えていることを言えないまま、夜勤をこなし続けました。ある夜、仕事中に涙が出てきたときに、ようやく「これはもう限界を越えている」と実感しました。でも、それでもまだ言い出せなかったです。
結局、体に症状が出て診断書をもらうことになり、そこでようやく休職という形で現場を離れました。退職できたのはそれからさらに数か月後でした。あのとき、自分一人で上司に伝えようとするのではなく、別の方法を早めに選んでいたら、もう少し早く楽になれたかもしれないと、今でも思います。
しんどいと感じた時点で、自分の言葉だけで解決しようとしなくてよかったのだと、あとになってわかりました。「言えない」という状況そのものを、誰かに助けてもらうことができたはずでした。気づくのが、少し遅かったです。