30代に入ってから、夜勤明けの身体の重さが変わりました。20代のころは仮眠さえとれれば翌日には戻れていたのに、三十を過ぎたあたりから、休日まるごと使っても疲れが抜けきらなくなりました。起き上がるのがやっとで、カーテンを閉めたまま夕方まで横になっていることが増えていきました。
それでも「もう少し」と繰り返しているうちに、ある夜勤明けに駅のホームで立てなくなりました。座り込んで電車を何本も見送りながら、このままでは続けられないと、ようやく腹を決めました。もっと早く気づくべきだったと思いましたが、その時はただ、早く眠りたいという気持ちしかありませんでした。
退職の意思を固めてから一週間ほど、言い出すタイミングを探していました。師長が忙しくない朝に声をかけようと決めて、申し出の言葉を何度も頭の中で繰り返しました。「一身上の都合で、今月末で退職させてください」—それだけ言えばいいと思っていました。
師長室に入ったとき、思っていたよりも穏やかに話を聞いてもらえました。ただ、最後に言われた一言が刺さりました。「あなたが抜けたら夜勤のシフトが回らない。みんなに迷惑がかかる」。責めるような口調ではなかったのが、かえって重く感じました。
その場では「考えさせてください」と答えて席を立ちました。廊下に出た瞬間、もう決まっていると思っていた気持ちが揺らいでいるのがわかりました。先輩からも「もう少し頑張ってみたら」と声をかけられ、夜には後輩から「いてくれると助かる」とメッセージが届きました。悪意のない言葉ほど、こたえました。
三日後、師長に「やはり続けます」と伝えました。口にした瞬間、どこかで音が鳴るような感覚がありました。引き留めに負けたというより、自分で自分を説き伏せたような気がして、それが一番つらかったです。
その後も夜勤は続きました。シフトは変わらず、身体の回復が追いつかない日々も変わりませんでした。あのとき折れずにいられたら、と何度も考えましたが、答えは出ませんでした。自分一人で退職を押し通すには、もっと別のやり方が必要だったのかもしれないと、今でも思います。
後から知ったことですが、職場の人間関係や情に流されずに退職を進める方法があることを、当時の自分は知りませんでした。意思を固めても、伝え方や手続きのしかたによって結果が変わることがある—それが、あの経験から得た一番大きな気づきです。