その師長が怒鳴るとき、いつも廊下の端でした。スタッフステーションの中ではなく、わざわざ人目につく場所を選んでいたと、後になって気づきました。「あなたのせいで患者さんに何かあったらどうするの」という言葉を、ほかのスタッフの前で浴びせられた日のことは、今でも耳の奥に残っています。
30代になって、それなりに経験を積んだつもりでいました。後輩の指導もしてきたし、急変対応も一人でこなせるようになっていた。なのに、その師長の前では、新人のころより深く萎縮している自分がいました。毎朝、更衣室で制服に着替えながら、吐き気をこらえる日が続いていました。
限界だと感じたのは、ある夕方の申し送りの後でした。些細なミスを全員の前で読み上げられ、「こんな看護師に患者は任せられない」と言われたとき、自分の中で何かが静かに折れる音がしました。その夜、家に帰ってから泣いたのではなく、ただぼんやりと天井を見ていたことを覚えています。
翌週、師長に話しかけるタイミングをずっと探していました。退職の意思を伝えようと、何度も言葉を用意しました。「一身上の都合で退職させていただきたいのですが」と、声に出して練習もしました。でも師長室のドアを前にすると、足が動かなくなりました。廊下で待っていても、師長が一人になる時間は来ませんでした。
意を決して話しかけた日、師長の第一声は「今、忙しいから」でした。それだけで、準備してきた言葉はすべてどこかに消えてしまいました。翌日もその翌日も、タイミングを探しているうちにシフトが終わり、気づけば一週間が過ぎていました。「明日こそ」と思いながら眠る夜が、何度繰り返されたかわかりません。
一度だけ、なんとか「少しお時間をいただけますか」と伝えられたことがありました。しかし師長に「どういうこと、今の時期に?」と眉をひそめられた瞬間、「いえ、業務の確認で…」と言い換えていました。自分でも、なぜそうしてしまったのかわかりませんでした。体が勝手に謝罪の姿勢をとっていたのです。
その後もパワハラは続きました。退職の話は一度も正式に切り出せないまま、半年が過ぎました。心療内科を受診したのはその頃です。先生から「休職も選択肢のひとつ」と言われたとき、初めて「辞める以外の出口がある」と知りました。でも、最初の決断をあの時点でできなかったことへの後悔は、ずっと消えませんでした。
今振り返ると、直接伝えることへの恐怖がある場合、別の方法を最初から考えるべきだったと思います。自分で言いに行けないのは弱さではなく、追い詰められた状態が長く続いた結果だったのだと、時間が経ってようやく受け入れられるようになりました。あの廊下でひとりで抱えていた時間を、もっと早く誰かと分けることができていたら、と今でも思います。