その病棟はずっと人が足りていませんでした。私が入職した頃からそうでしたし、何年経っても状況は変わりませんでした。休憩がまともに取れない日、ナースコールが鳴り止まない夜、申し送りが終わらないまま次のシフトに突入する朝。そういうことが当たり前になっていた頃、ようやく私は限界という言葉の意味を自分の身体で理解しました。
退職を決めたのは、ある秋の終わりのことでした。健康診断で血圧の数値を指摘されて、しばらく何も考えられなくなりました。家に帰ってから、震える手で退職届を書きました。一晩かけて書いた便箋を封筒に入れて、翌朝、師長に手渡しました。やっと言えた、と思いました。
師長の顔が曇ったのは、封筒を受け取った瞬間でした。「今、この時期に?」という言葉が最初に返ってきました。年度末が近く、新しいスタッフの入職も決まっていないと言われました。「あなたが抜けたら、残った人たちはどうなるの」という言葉が、思ったより深く刺さりました。
翌日から、何人かの先輩に呼び止められるようになりました。みんな困った顔をしていて、誰も責めてはいませんでした。それでも「もう少しだけ」「春まで待って」という言葉が、毎日少しずつ積み重なっていきました。私の意思が、じわじわと削られていく感覚がありました。
師長から「正式な面談をしましょう」と言われたのは、退職届を出して一週間後でした。そこで提示されたのは、シフトの調整と時短勤務への切り替えという提案でした。辞めたいのではなく、楽にしてほしいのだ、と自分に言い聞かせながら、その場でうなずいてしまいました。退職届は、その日のうちに返却されました。
時短勤務は三か月で元に戻りました。人が増えなければ、誰かが穴を埋めるしかない。そのことは最初からわかっていたはずなのに、また同じ場所に戻ってしまっていました。血圧の薬だけが増えていて、辞めようと思った理由は何一つ解決していませんでした。
引き留めに応じてしまったことを、今も後悔しています。罪悪感を持ってしまうのは、長く働いてきた証拠でもあるのかもしれません。でも、職場への義理と自分の健康を天秤にかけたとき、私は間違った方を選んだのだと、今ならはっきり思います。
あの時、自分一人で手続きを進める気力がなかったのも事実です。封筒を返された瞬間に言い返せなかったのも。退職の意思を自分の口だけで通すことの難しさを、あの経験で初めて知りました。誰かに間に入ってもらうという選択肢を、その時の私はまだ知りませんでした。