朝礼が始まる前から、胃のあたりがじわりと重くなるのを感じていました。前日の数字がよくなかった日は特に、席に着くだけで頭の中で上司の声が再生されるようになっていました。30代も半ばに差しかかって、まさか自分がこんな状態になるとは思っていませんでした。
週に何度か、夕方の会議室で個別に呼ばれました。どうしてこの数字なんだ、プロセスが甘い、気合いが足りない。言葉そのものより、その時間の長さと、部屋を出た後の沈黙の重さが、少しずつ自分を削っていきました。反論しようとするたびに言葉が出てこなくなり、気づけばうなずくだけになっていました。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見て、知らない人みたいだと思ったことがあります。疲れているのか怒っているのか、自分でもよくわからない表情をしていました。家に帰っても、翌日の準備をする気になれず、ただぼんやりとしている夜が続きました。
辞めようと決めたのは、ある朝、起き上がれなくなった日のことです。体が言うことを聞かないというより、起きてそこへ行く理由が見つからなかった。有給を使って休みながら、上司に退職の意思を伝えるメールをどう書くか、何度も書き直しました。
翌週、上司に口頭で話したのですが、思っていた展開とは違いました。辞めるなんて無責任だ、今の担当案件をどうするつもりだ、と言われ、気づけば謝っていました。その場を収めることだけ考えていて、退職の話はうやむやになってしまいました。後で振り返ると、あの場で押し切れなかったことが、最初のつまずきでした。
それから一か月、辞めると言えないまま出社を続けました。状況は変わらず、詰めの頻度はむしろ増えていました。一度でも弱みを見せると足元を見られる、という感覚がありました。誰かに相談しようにも、社内に話せる人がおらず、家族にも心配させたくなくて黙っていました。
結局、体調が限界を超えてから、医師の診断書を持って人事に申し出る形になりました。退職そのものはできたのですが、その頃には心身の回復にずいぶん時間がかかる状態になっていました。もっと早く、別の手段を使って動いていれば、あそこまで追い詰められずに済んだかもしれないと、今でも思うことがあります。
詰めに慣れようとしていた時期が、一番まずかったのだと思います。慣れるのではなく、消耗していただけでした。辞めたいと感じた最初の時点で、自分一人で上司と向き合おうとせず、別の出口を探すことができていれば、違う結果になっていたかもしれません。