営業の仕事を始めて十数年が経っていました。気づけば40代になっていて、後輩の指導もしながら自分の数字も追い続けるという状態が、いつの間にか当たり前になっていました。退勤が日付をまたぐことも珍しくなく、土日も得意先からの連絡が途切れませんでした。それでも、「これが営業というものだ」と自分に言い聞かせて、ずっとやり過ごしてきました。
体に異変を感じ始めたのは、ある年の秋ごろだったと思います。朝、起き上がろうとすると頭が重く、足が床につく前から疲れているような感覚がありました。食欲も落ちていて、昼食を抜くことが増えました。それでも「繁忙期が終われば楽になる」と思い、病院に行くことも後回しにしていました。
退職を考えたのはその年の冬です。さすがにこのままでは続けられないと感じて、上司に時間をもらい、辞めたい気持ちを正直に伝えました。ところが上司の反応は「今は困る。あと半年だけ待ってくれ」というものでした。半年という言葉に引っかかりを感じながらも、チームへの迷惑を考えると強く押し返せませんでした。その場は曖昧に引き下がってしまいました。
半年が経っても、状況は何も変わりませんでした。むしろ担当する案件が増えていて、退職の話を再び持ち出す空気ではなくなっていました。「また言い出すタイミングを逃した」という感覚だけが、静かに積み重なっていきました。退職届を書いて引き出しにしまったこともありましたが、結局そのまま提出できませんでした。
翌年の春、ついに体が動かなくなりました。朝、目が覚めても起き上がれず、会社に連絡を入れることもできませんでした。家族に促されてようやく病院を受診すると、医師から「すぐに休んでください」と言われました。その言葉を聞いた時、泣くような気力もなく、ただぼんやりとしていたのを覚えています。
休職に入り、しばらく経ってから改めて退職の意思を伝えようとしましたが、今度は会社側から「療養中なので時期を見て話し合いましょう」と言われ、またも先送りになりました。もっと早く、体を壊す前に決断していれば、こんなに長引かなかったかもしれない。そう思うと、後悔ばかりが浮かびました。
退職の意思を口頭で伝えるだけでは不十分だったと、後になって気がつきました。引き止められた時に「わかりました」と引き下がったことが、そのまま自分の首を絞めることになっていました。書面で意思を示すとか、第三者を間に立てるとか、もっと別の手段があったはずです。それを知らなかった、あるいは知っていても動けなかった、どちらも自分の責任だと感じています。
今は静養しながら、ゆっくり次のことを考えています。あの時もっと早く、自分の限界を正直に認めていれば。そして「言い出しにくい」という感情に負けず、別の方法を調べていれば。体を壊してからでは、取り返せないことがあると、身をもって知りました。退職は、タイミングではなく意思の問題だったのだと、今はそう思っています。